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6次のつながり

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    6次のつながりという理論がある。どんな人とも、6人を経由すれば知り合いになれるということ。わたしと、極論すれば、アラスカのエスキモーとでも、間に6人の人を入れれば、知り合いになれてしまう。

    ちなみにSNSサイトグリーの語源は「6次のつながり」(Six Degrees of Separations)だそうな。

    最近こんなことがあった。

    1.S県Y市のある会社に事例の取材に行く。
    2.それが公開される。
    3.それを私がメルマガで告知する。

    すると、私のクライアントR社の社長から、「村中さん、この事例に出ているE君って、私がY市立高校の物理部にいたときの後輩のE君に違いないと思うんだけど。写真を見る限り…。E君のメールアドレス教えてください」

    とメールが来た。事例が6次のつながりに参加してしまった。ちょっと感慨深かったです。

    ※ 文中のイニシャルは全部でたらめです。

    大化の改新は何年前のことだったのか(2)

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      しばらく前の記事、 大化の改新は何年前のことのなのかの続きである。

      この質問は、ベストセラー作家、岡本吏郎さんのブログでも評価されました。

      http://www.awn.jp/urapage/003819.php

      そこで、いつかこの疑問の回答と出会うために、手がかりを備忘録がわりに記してみました。

      *** 源氏物語

      日本文学の代表作「源氏物語」の書き出しは、「いづれの御時(おんとき)にやあらむ(いつの帝の御世であったか)」である。紫式部は、今から語る物語の時間を示すのに、天皇を使っている。

      *** 派生質問

      「江戸時代の学者に、大化の改新は何年前だと質問したとして、なぜそんなことを知る必要があるのかと返事されたりはしないか」
      「江戸時代に”年表”はあったのか(国立古文書館に行けばあるか)」
      「それはどんな形式で書いてあるのか」
      「年表があったとして、それは何の用途に使われていたのか」
      「はじめて西暦と出会った日本人は誰か(鉄砲伝来と同時ぐらいか?)」
      「その日本人はどう思ったか(何とも思わなかった?)」
      「シーボルトは、長崎で、日本の歴史年表を作ったりしなかったか」
      「西暦による日本史の年表をはじめて作ったのは誰か?」

      *** 派生質問2:
      「ローマ人はペロポネソス戦争を何年前のことと認識していたのか」

      *** 私見

      人間の時間感覚の基本は、おそらく「アフター・ザ・○○」であろう。

      西暦は、アフター・ザ・キリスト
      イスラム暦は、アフター・ザ・ヘジラ(聖遷)
      現代日本人の時間間隔は、戦後○○年
      今、世界を覆う時間間隔は、アフター・ザ・9.11

      個人もそう。
      結婚して○○年、上京して○○年、就職して○○年。

      江戸時代の時間感覚はもしや、
      アフター・ザ・関が原か?

      *** 参考資料1

      司馬遷は、史記により、中国(および日本)の歴史感覚を「発明」した。司馬遷が史記の叙述を開始したのは紀元前104年。武帝が大初という年号を建てた最初の年である。この年の陰暦11月(子の月)の朔が六十干支の最初の甲子の日であり、しかもこの日の夜明けの時刻が冬至であった。これは中国の暦学でいう、宇宙の原初の時間と同じ状態(甲子朔旦冬至)が到来したのである。このとき、司馬遷らの提議により、暦法を改正することになり、「大初暦」が作られ、それまで念頭であった十月(亥の月)に代わって、正月(寅の月)が年頭となった。

      大初とは、天地創造というのに等しく、宇宙の一サイクルが終わって新しいサイクルが始まったことを示す年号である。

      司馬遷が「史記」の著作に着手した契機が前104年に宇宙が原初の状態に戻り、歴史が完成に達したという認識であったことは間違いない。

      *** 参考資料2:

      マヤ文明には、精密な暦があって、前114年8月11日を時間の基点として、そこから14万4000日(394年余り)をひとつの周期として、数千年の長い期間にわたる日付を正確に表すことができた。

      *** 参考資料3:
      ユダヤ教やキリスト教では、「旧約聖書」をもとにして天地創造の年代を計算した紀元が何通りもあった。

      その一つは、前5509年にヤハヴェ(エホバ)の神が天地を想像したとするもので、ロシアでは、ツァーリ・ピョートル一世の時代の1700年1月1日まで使われた。

      以上、「世界史の誕生」岡田英弘 より。

      *** バガボンド14巻〜18巻では、佐々木小次郎の少年期〜青年期の成長過程が書かれているが、これを読んでいると、ある出来事が何年前なのかといった年表感覚が頭から洗い流されるようだ。

      ロパートキナの白鳥の湖を観た。

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        今日は東京文化会館で、天才のピークを目撃することができた。その天才は、ウリヤナ・ロパートキナ。ロシアのマリンスキー劇場のプリンシパルである。ガリーナ・ウラノワの白鳥の湖は20世紀の伝説だが、ロパートキナの白鳥の湖は21世紀の伝説となるとペテルブルクでは言われている。その伝説を今日は見た思いだ。

        さて、今われわれが知る、あのヒラヒラのクラシック・バレエが誕生したのは、わずか100年少し前の帝政ロシアの時代であり、実は現代芸術である。

        ほとんどの芸術を貫く文脈は「昔は良かった」であり、音楽も絵画も映画も、「○○年代は最高だった」と語られるが、バレエは、数少ない「今がいちばん」という芸術だ。

        往年のダンサーとして、ニジンスキーやパブロワやヌレエフなどが取りざたされるが、ほぼ間違いなく、アナニアシビリやウヴァーロフやロパートキナの方が良い踊り手であろうと私は確信している。バレエは身体技術を要するので、スポーツと同じく、毎年良くなるのだ。


        今日は、クラシックバレエ決定版、「白鳥の湖」を観た。演ずるはロシア・マリインスキー劇場、プリンシパルは今が全盛期のウリヤナ・ロパートキナである。

        マリインスキー劇場は、帝政ロシアの首都ペテルブルグを本拠とする、クラシック・バレエの最高峰である。モスクワを本拠とするボリショイ・バレエ団がパワーと迫力で押してくるのに対し、マリインスキー劇場は優美を旨とする。言いかえるならば、ボリショイでは女性ダンサーが、男性のように力強く踊る。マリンスキーでは、男性ダンサーが、女性のように優美に踊る。

        そのマリンスキーが送る、クラシック・バレエの決定版、白鳥の湖である。ただいま、一幕と二幕の幕間にこの文を書いているのだが、もうロパートキナすごすぎ。完璧です!

        コール・ド・バレエのみなさんも、人か白鳥かと見まごうばかりの優美さ。これだけ何十人もの美男美女が美に妥協せずに体を動かすさまを目のあたりにすると、へんな話ですが、この下々(しもじも)にみなさま素晴らしい踊りを見せてくださいまして、ありがたやありがたやと感謝の気持ちを禁じ得ない。

        ロパートキナ、ほんと、すごいな〜。すごすぎ。柔らかな手の動きといい、表現力といい、大物だ。長い足を伸ばすときも、そのまま伸ばすと品を欠くので、かすかにカーブさせるような。

        あと、やっぱりバレエはロシアだなと思いました。ロシア人は体つきといい、顔といい、生まれながらにクラシック・バレエに向いている民族なのであろうと思いました。


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